[編集] 経済
詳細はチリの経済を参照
アタカマ砂漠の入り口サン・ペドロ・デ・アタカマ
ラパ・ヌイ島のモアイ
パイネ国立公園アジア太平洋経済協力(APEC)に加盟しており、メルコスール準加盟国であるゆえに南米共同体にも加盟している。
経済はほとんど輸出により成り立っている。輸出品目の第二位は農業関連製品で、第一位は以前より世界一の生産量を誇る銅である。1970年代初頭は輸出品の70%を銅が占めていたが、現在は40%とその重要度は低下している。最近では、各地で産出される良質なワイン、サーモン、木材パルプの輸出が始められた。また先進国ほどではないが、ラテンアメリカで最も工業化された国の一つであり、域内ではアルゼンチン、ブラジル、メキシコとともに中進国であり、2007年からOECD加盟に向けて交渉が進んでいる。
チリ北部の主要産業は鉱業であるが、南部には大規模な農業、酪農がある。バルパライソといった主要港のある中央部にはサービス業と工業が集中している。チリのサービス業部門は大きく、世界で最も自由化され先端を行く通信インフラが整っている。 1990年代のにわか景気では、毎年7〜12%の経済成長を記録したが、1997年のアジア通貨危機以降は、年3%にまで落ち着いた。近年、EU・アメリカ・カナダ・メキシコ・韓国などと自由貿易協定を結び、さらにニュージーランドとシンガポールとも同様な協定を結ぶ交渉が進められている。
[編集] 一次産業
農業については、果樹類の生産が特筆される。19世紀からワインの原材料としてぶどうが広く生産されている。1970年代には過剰生産とワインの品質低下がたたって、一時生産量が低迷したが、ワインの品質改良などの地道な努力が功を奏し、1990年代以降は再び生産量を増やしている。
漁業については、東太平洋がアンチョビなどの好漁場であり、古くから活発に漁業が営まれてきた。気候や地形の類似点から、北半球のサケ類の移植が進められたが、自然放流により再生産を図る計画は失敗。しかし、代わりに始まったサケ類の養殖事業は大成功を収め、2005年には世界のサケ類の養殖生産高の1/3、約60万トンを誇る規模(世界第2位)となっている。
林業については、国土の2割が森林となっており木材生産が盛んに行われてきたが、1980年代以降、アメリカ合衆国や日本の業者が進出し、パルプ用の木材チップの生産を飛躍的に高めた。南部のパタゴニア地方を中心とした原生林での生産が有望視されているが、無秩序に近い環境破壊を訴える自然保護団体も存在し、先住民マプーチェ族をはじめとする現地の住民も無軌道な乱伐に反対している。
鉱業については、地下資源、特に金属鉱物資源に恵まれている。2003年時点で、銅の採掘量は世界一であり、490万トンに達する。これは世界シェアの36.0%に相当する。銀は1250トンであり、世界第6位、シェア6.7%である。金の世界シェアも1.5%である。このほか、亜鉛、鉄、鉛を産出する。
金属以外の無機鉱物資源では、硫黄、塩、カリ塩、リン鉱石が有望であり、リン鉱石以外は世界シェア1%を上回る。有機鉱物資源も見られるが、規模は小さい。例えば、石炭の産出量は43万トンに留まる。
[編集] 観光
近年観光業も成長を続けている。南部の森林地帯の荒々しい美しさ、北部のアタカマ砂漠の広漠とした風景、5月から9月にかけてのアンデス山脈のスキーシーズンが観光客を惹きつけている。また、パタゴニアや、モアイ等の独自の観光資源を持つラパ・ヌイも観光地としての人気がある。その他にはビーニャ・デル・マルなどのビーチ・リゾートも存在するが、寒流であるペルー海流(フンボルト海流)の影響のため、チリの海は海水浴には適していない。
[編集] 国民
詳細はチリの国民を参照
1835年から2050 年までのチリの人口グラフ(INE).
首都サンティアゴの景観
バルパライソの住宅街
マプーチェ族のロンコチリの人口は約1,600万人程で、1990年代から出生率の低下と共に人口増加率は低くなっている。2050年までには人口2,020万人に達すると見積もられている。 国民の85%が都市部に居住し、内40パーセントが大サンティアゴ都市圏に居住している。
チリの国民は、大部分がヨーロッパ系の白人もしくはメスティーソであり、人口の30%が純粋な白人であり、65%が白人系メスティーソとなっている。その他インディヘナとしては、パスクア島(イースター島)にはポリネシア系の、北部のアンデス山岳地帯にはケチュア族やアイマラ族など、南部ビオビオ川以南の森林地帯にはマプーチェ族が、その他にはピクンチェ族、ウイリンチェ族、アタカメーニョ族、ディアグイタ族、ペウエンチェ族などが、クリストバル・コロンの到来以前より居住しており、こうしたインディヘナを合わせると全人口の5%ほどになる。また、極めて少数であるが、植民地時代に連れて来られた黒人奴隷の子孫としてアフリカ系チリ人が存在するが、チリの黒人は人口の1%に満たない。外為・南アフリカランド
ヨーロッパからの移住は19世紀に加速した。特に南部のマプーチェ族の土地がアラウカニア制圧作戦により国家に併合されると、隣国のアルゼンチンやブラジル程の規模ではないが、スペインやクロアチア、イタリア、ドイツ、パレスチナなどから移民が導入され、東ヨーロッパとアイルランドからも少数が移住した。 日本からの集団移民は行われておらず、移住したボリビアなどから再移住した日系の移民が極少数存在するのみである。
[編集] 人口
独立直後の1830年にようやく100万人を越えたチリの人口は、1960年のセンサスでは7,374,115人、1970年のセンサスでは8,884,768人、1983年年央推計では約1,168万人となった。
[編集] 言語
言語はスペイン語のみが公用語で、日常生活でも広く使われている。その他にはインディヘナによってマプーチェ語や、ケチュア語、アイマラ語、ラパ・ヌイ語、ウイリンチェ語などが話されている。
先物取引
[編集] 宗教
チリは伝統的にローマ・カトリックの国だったが、現在は国民の70%程となっており、福音派、またはプロテスタントが15%、エホバの証人が1%、末日聖徒イエス・キリスト教会が0.9%、ユダヤ教が0.1%、その他が4.4%、無宗教が8.3%、ムスリムと東方正教はそれぞれ0.1%以下である(2002年のセンサスによる)。
[編集] 教育
詳細はチリの教育を参照
1842年にチリ国立大学が設立された。 教育水準は高い。[要出典]
[編集] 文化
詳細はチリの文化を参照
FX
ガブリエラ・ミストラル
パブロ・ネルーダチリの文化はスペイン人による征服の前はインカ帝国とマプーチェ族のよるものが主流だったが、スペインによる征服後はスペイン人の文化的影響を強く受け、19世紀の独立後にはイギリス、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国の影響を受けた。
[編集] 食文化
詳細はチリ料理を参照
長い海岸線を有するため大海産国であることもあり、チリの料理は魚介類をふんだんに使う。 北部のかつてペルー領だった地域では、セビッチェが食べられており、南部ではアルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジル南部などと同様にマテ茶を飲む習慣がある。
FX
[編集] 文学
詳細はチリ文学を参照
チリはガブリエラ・ミストラルとパブロ・ネルーダという二人のノーベル文学賞詩人を輩出している。ミストラルは1945年に、ネルーダは1971年にそれぞれノーベル賞を受賞した。
小説の分野で代表的な人物はホセ・ドノソ、ロベルト・ボラーニョ、イサベル・アジェンデなど。
[編集] 音楽
詳細はチリ音楽を参照
ビクトル・ハラチリのフォルクローレにおいてはクエッカと呼ばれるリズムが中央部で発達し、その他に北部のケチュア族、アイマラ族にはワイニョなどが、南部のマプーチェ族や、パスクア島のポリネシア系住民にも独自のフォルクローレがある。
1960年代には政治と強く結びついたフォルクローレ、ヌエバ・カンシオンが流行した。ビオレータ・パラ、ビクトル・ハラ、インティ・イリマニ、キラパジュンなどが活躍していたが、1973年のクーデター後に軍事政権によって音楽家が殺害、拷問、追放されるとヌエバ・カンシオンは衰退することになった。
ポピュラー音楽においては、ロックは60年代に中産階級によって始められ、軍政期を通してインカ・ロックなどの形態で独自の発達を辿ることになった。その後80年代に軍事政権の言論弾圧が一時期弱まると、ロックはフォルクローレよりも盛んになり、チリ・ロックはメキシコなどのラテンアメリカ市場でも成功するミュージシャンを生み出している。代表的なミュージシャンとしてはロス・ジョッカーズ、ロス・トレス、ロス・ブンケルス、ラ・レイ、クダイなど。
[編集] 世界遺産
チリ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が5件ある。詳細は、チリの世界遺産を参照。
ラパ・ヌイ国立公園 - (1995年、文化遺産)
チロエの教会群 - (2000年、文化遺産)
バルパライソの海港都市の歴史的街並み - (2003年、文化遺産)
ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群 - (2005年、文化遺産)
スウェルの鉱山都市 - (2006年、文化遺産)